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うつ病発症

こんにちは!まるちゃんです。

相変わらずデザインをどうしていいかわからぬまま、ただ文章だけ書いてる毎日です。

今日は私がうつ病と診断された頃のことを話していこうと思います。

気付いたのは不眠から

2016年9月下旬、ある日突然眠れなくなりました。一睡もできないまま朝を迎えたのです。

でも、次の夜は「昨日眠れなかったから今日は眠れるだろう」と思って布団に入ったのですが、その夜も眠れませんでした。

これはおかしいと診療所のかかりつけ医のところへ受診し、眠剤をもらって帰りました。

でも、どこかで体の不調を感じていたのでしょう。

近くの心療内科を探しすぐに受診しました。結果「うつ病」でした。

どこかでホッとしました。やっぱりという気持ちと薬を飲んだらすぐに治る!と思っていたのです。

看護師という職業柄、異変に気付くのは普通の方よりは敏感なほうだと思っています。

されどこの時は少し遅かったのでした。1年前ぐらいからどうしようもなく毎日が忙しかったのです。

うつ病の1年前、突然母が倒れる

私の家族は両親、妹の4人で、妹も私も看護師をしており、就職と同時に家を出てました。

父は30年前に亡くなりました。肺がんのStage4で骨、頭にも転移があり手術は出来ませんでした。放射線治療・化学療法してましたが、約9か月後に亡くなりました。ちょうど長女を出産して半年後でした。

父が亡くなってから約20年間母は独居でしたが、習い事をいくつかやっていて、毎日忙しくしていました。

その母が突然脳梗塞で倒れました。近所の方が外に干してある洗濯物がいつまでもあるのを不審に思い、家の中で倒れていた母を見つけてくれました。

救急病棟でCTを見せてもらった時は、もうダメだと覚悟しました。あまりにも梗塞部位の範囲が広く、脳浮腫がひどく意識がありませんでした。

それからは妹と私が交互に病院に行ってました。片道40分かけて病院に行くのは、正直すごく辛かったです。

でも、その時は自分を責めていました。

倒れた日の数日前に母からメールが来ていたんです。

「ゴールデンウイーク帰ってくる?」と・・・。

私はその時デイサービスの主任をしており、祭日も出勤でした。

ゴールデンウイークなんてなかったのです。

「帰れたら連絡するわな」とメールを入れましたが、結局帰りませんでした。

今でもそれだけは後悔してもしきれません。

介護生活始まる

仕事と病院との往復で自分の時間はなくなりました。

もうすでにあの頃から体調がおかしかったのに、気付いていませんでした。

看護師として一番大切な観察力が、自分に対して発揮できませんでした。

5月に入院した母は6月にリハビリのため転院して、3か月後に自宅に帰りました。右半身麻痺と失語症の障害が残りました。

リハビリのおかげで、家の中は杖で歩けていましたし、トイレも一人で行けました。

短い単語なら数語話すこともできました。

こちらの言うことは理解できましたが、なかなか思うように言葉が出ずにいつもイライラしたり、逆に悲しそうな顔もしていました。

食事は宅配のお弁当とヘルパーさんにお願いし、入浴もヘルパーさんにお手伝いしていただいてました。

妹とあの頃のことをたまに話すことがありますが、自宅に戻ったころが精神的に一番しんどかったなあと・・・。

もちろん母が一番辛かったでしょうが、今までやってきた家事や趣味が何一つ出来なくなった母を見るのが、とても辛かったです。

毎日どうすることも出来ない自分を責めてばっかりいました。

それから3か月再び倒れる

退院して3か月経ったころでした。

見守りサポートの業者さんから連絡がありました。

センサーが反応しないので駆け付けたところ、台所で倒れていて、救急車を呼んだとのことでした。

そこからまた病院の往復が始まりました。1か月経つと別の療養型の病院に転院になり、しばらくリハビリをしていましたが、今回は家に帰ることは難しいとのことで、施設を探すことになりました。

とは言っても、介護1ではなかなか終身の老人ホーム(いわゆる特別養護老人ホーム)には入れません。

何とか近辺のサービス付き高齢者住宅に入れることが出来ました。

そこは食事、排泄、入浴などのサービスは介護度によって使える点数が異なってきます。

介護1の場合、使えるサービスに限界があるのです。(ただし、実費でなら使えます。)

それと生活に必要なものは、家族が準備しなければなりません。

ただし、ベッドや杖、車いす、老人車などの介護用品は介護保険で借りることができます。

施設に入所してしばらくしてから、介護調査の結果介護度が3になり、特別養護老人ホームに入所の申し込みもしておきました。(介護3以上なら、入所できます。ただし、特例で介護2でも申し込みが出来る可能性があるので、問い合わせしてみては・・・?)

そんな母も今は小規模の特別養護老人ホームでお世話になっています。今年で丸5年になるでしょうか?

倒れた日から全く笑わなくなった母からは想像できないぐらい、今は穏やかな毎日を送っています。

家族だけで介護するのは危険!

介護の現場を仕事柄見てきて、また母の経験から言わせてください!

『介護はプロに任せたほうがいい!』

困ったことがあれば役場に相談しましょう。

ケアマネージャーに愚痴りましょう!

たくさんの支援(デイサービス、老健施設、訪問介護、訪問看護などなど)を有効に活用しましょう!

家族だけで介護をするのだけは、絶対にやめて欲しいです。

介護は期限付きではありません。いつまで続くかなんて誰にもわかりません。

だからこそがんばるのはやめましょう!

デイサービスにお世話になってる間に自分の好きなことをしましょう。

ショートステイにおられる間に旅行に行きましょう。

大丈夫!言いたい人には言わせておけばいいのです。

一日のうちに1時間でも自分を大事にする時間をもうけましょう。

育児も同じですが、ずっと子供と一緒にいたら、いくら可愛い子供でも疲れます。

たまに親に預けてコーヒーでも飲みに行くと、また子供に優しくできます。

お年寄りも同じです。ましてや自分の親、義両親なら今までかかわってきた歴史があります。

そういった感情が入ると、介護はややこしくなります。

私自身デイサービスで20年働いてきたわけですが、赤の他人さんだからこそ優しくできるのです。

中にはそれでも憎たらしい利用者さんはおられましたが・・・。(笑)

うつ病の原因は一つではない

うつ病の原因は一つではありません。

いろいろなことが重なり合って発症します。

私の場合、母の介護、仕事、家事、子供の就職、進学などちょうど重なってしまいました。

自分でも毎日何をしていけばいいのか目が回るほどでした。

単に原因になる事柄を取り除けばいいという単純なことではありません。

今ならそれがすごくよくわかるのです。

柔軟な心を持つこと

客観的自分を見ることができること

人に助けてと言えること

この3つはとても大切だと気付きました。

少しずつですが、人に甘えることも出来るようになってきています。

今の感情を客観的に見ることも上手になりました。

うつ病と闘わない

今年の5月で母が倒れて丸9年目になります。

うつ病になってもうじき8年です。

どうか今療養されているみなさん、焦らずにとにかく今日を生きましょう。

私のブログを読んで、うつ病ってこんなに治っていくのに時間がかかるんだと、落ち込むかも知れません。

いいんです、そのままの感情を吐き出せばいいんです

人にはなかなか言えないと思うことなら、ノートや手帳に書いて下さい。

そのままの気持ちを書けばいいんです。汚い言葉でもいいです。人には見せないのですから・・・。

それを毎日繰り返すだけです。辛い日のほうが多いです。

それでも治ることだけはあきらめずに信じ続けて下さい。

いつかきっと、灰色だった世界から色のある世界に変わる日が来ます。

ある日突然です。

その時に思うでしょう!「生きててよかった!」って・・・。

では、また・・・。

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